会田誠にケンカを売った例の女性は本当に”当たり屋”なのか?
会田誠の件である。
概要だけ見るとマア、会田誠というアート界でも政治色が強くて個性もドギツくて物議を醸しがちなところへ狙いを定めたタチのわるい”お気持ち当たり屋”なのかね……と思っていたが、記事を今になってちゃんと読み、訴えた女性側の言い分も理解するに至った。
訴えの概要は、美術モデルの女性が、会田誠などが講師として参加する公開講座(一般人向け講義)『人はなぜヌードを描くのか 見たいのか』にて、性的な画像を見せられたり話を聞かされ精神的苦痛を受けたとして、開催した学校側に損害賠償300万円ほどを請求したというもの。
……っつーかこの女性が美術モデルであること、メディアでワザワザ取り上げる必要のある情報か?
まあそれはいいとして。
スクショ等で拡散されている彼女の言い分要約は
・ゴキブリとの性行為の絵や男性器の写真などを見せられた
・それによって過去のトラウマがフラッシュバックした
というもので、それに対する大学側の回答、ならびにネットの多数の意見としては
・男性器の画像などを見たくない人がいれば挙手するようにと事前に通告するなど配慮した
・ていうか講座のテーマもド直球に性的だし、講師が会田誠なんだから”そういう”作風ってわかるだろwww イヤなら見んなよwww
というもので、一見すると後者に分があるかなーとは思う。わたしも、会田誠展「天才でごめんなさい」にデートで行ったとき、ワクワクしているわたしに反して相手の男はどんどん無口になっていき、一刻も早くこの場から去りたそうでまさに「こんなとこに連れてきてごめんなさい」状態だったことが鮮明に思い出される。ああいう不幸はどこにでも転がっている。
しかしどうやらそういう話ではないようにわたしには思える。
さっき記事を読み飛ばした方、ぜひどうかここで一読していただきたい。
わたしが記事をちゃんと読んで思ったのは、たしかにこれを授業でやられたらキレるかもしれん。ということだ。
いくら一般市民向けとはいえ「講座」なのだから、多少は学術的な話を聴けると思って出向くのは普通のことだと思う。この女性は会田誠の作風をご存じなかったらしく、それはたいそう不幸なことと言うほかないが、わたしだったら講師に会田誠の名前があれば、彼自身が渦中にいるアートとポルノの関係とか、そういう話を期待する。その流れでヌードやら男性器を見せられても別に何も文句はない。
しかし蓋を開けてみれば、「ヌードを通して芸術作品の見方を身につける」というテーマの講座に”酒に酔ったような状態で”現れた氏による下ネタと猥談のオンパレードで、すぐに改善を求めたものの、次の講師陣も似たり寄ったりだったと。これは会田誠展に行ったわたしでも傷つくし、イヤな気持ちになる。
(それに、これは完全に私的な意見だが、わたしは会田誠のオナニー姿はまだ興味を持って眺めるかもしれないが、誰とも知らん他講師の男性器は絶対に見たくない。藤原竜也のキンタマは血眼で探すが、露出狂のキンタマは握りつぶしたいのと同じ原理である。訴えるかも……)。
「講座」じゃなくて「トークショー」でやればよかったと思う。タイトルは「会田誠が語る、己の性欲をアートに昇華しろ!!」とかで。それなら、そういうのが好きな人は聴きにいくし、こういう女性は行かなかっただろう。
公開講座は参加者と一緒につくられていくものでもあるから、本当に難しいものだ。なぜなら一般人と、普段から学問に触れている人の思考体系って、驚くほど違うからだ。「隔絶」と言っていいほどの溝があると感じた思い出が、わたしにもある。
在学時代ゼミ教授の公開講座に参加した際、心理学の講座だったのもあるかもしれないが、所謂バラエティ番組レベルでしか心理学を知らない人や、突然「自分の場合は」「我々の時代は」と個人的な経験を持ちだして講義を遮ったりする人が続出し、本当に困惑した。
結局、かなり高レベルな講師陣(学会長を務めているような教授たち)もいちカウンセラーやコメンテーターレベルの回答しかせざるを得なくなってしまい、せっかくの時間が、不毛すぎる……といち学生でありながら軽く絶望感を抱いたものだった。
しかし学問の扉は万人に開かれているのだから、そういう人を拒否するなんてことはありえないし、むしろそういう人たちに一片でもアカデミックのかほりを感じていただくのは社会的な意義があることだと思う。
この講座を聴講した一般人がどういう人たちだったか、今では知るべくもないが、写真専門誌であるアサヒカメラも、ヌード特集は発刊部数が爆増するという話があるように、テーマがそれで、そして講師に会田誠の名前があったのであればそれこそ、会田誠の作風を知った上で”そういう”トークを楽しみに聴きに行った人も多かったのではないかと察しがつく。そういう、自分とは異質な聴講者が講師とともに猥談に”花を咲かせる”様子はさぞ、当該女性にとっては苦痛だっただろう。
わたし自身はこの事件の今後については関心もないし、どちらが正しいという意見も持っていない。ただ、この女性が、言われているような”行き過ぎたフェミニスト”であったり”お騒がせな活動家”なのか、そしてその訴えは本当に不当極まりないものなのか? ということに関しては再考の余地があると思うので、ここに記す。
数年前、ディズニーランドで泣いたときの話
写真が下手か?
○
もう数年前のことになるけれど、数少ない大学時代からの友人の誕生日、十数年ぶりにディズニーランドへ行った。
そうしたら、幾度となく泣くことになった。
そのときのことを今日は書く。
久しぶりのブログがコレで、「どうして?」と思われるかもしれないけれど、evernote の雑記に埋もれていたのを偶然見つけた。
最近、何か自分の文章を書きたいと思ってはいたけれど指が錆びついたみたいに重くて書けない。ネタすら思いつかない。あまりに苦しくて苦しくって、過去の女につい手を出したってワケ。
読み返してみたら案外悪くなかったので加筆修正したものを掲載します。
また、ここに書かれている内容は数年前の情報であり、かつディズニーランドについて普通以下の知識しか持たない者の主観的記憶に過ぎないことをご承知おきください。
○
12月の休日のディズニーランド。
まあ~クソ寒かったしクソ混んでたしクソにぎやかだしクソきらきらしてたし、そんで、クソたのしかったなあ。たのしかったよ。
わたし、ディズニーランドだいすき~。
泣くことになったキッカケはまず、入園して間もなく出くわしたパレード。代表的なキャラクターが登場し、手を振ったり踊ったりしてた。とってもかわいくて、おもちゃ箱をひっくり返したような感じ。衣装も乗り物もゴテゴテしてカラフルで、いよいよディズニーに来たなー! と思った。けれどわたしはもうずっと、パレードへの出演権を得たダンサーたちの晴れがましい笑顔に魅入っていた。わたしはパレードやショーのダンサーが大好き。
彼/彼女たちの笑顔って、夢を叶えるまでに流した数多の汗と涙が瞬間的に結晶になって輝いてるんだと、見るたびに思う。勝手に目の前の美しいダンサーの無償の笑顔にドラマを見て、感無量になる。他人に夢を与えることができるのは、叶える果てまで夢を追い続けた人だけなのだなぁなどと、夢のないわたしはしみじみした。
プーさんやピーターパン、不思議の国のアリスなどの名だたる人気者たちが次々と登場しては、声援の波に乗って遠のいていく。しかし終盤、唐突に現れたのはまったく予想外の人物だった。
メリー・ポピンズと相方のバートがそこにいた!
メリー・ポピンズは1960年代に製作・放映された、実験的なアニメーションと実写が混合するミュージカル作品だ。2014年、トム・ハンクスがウォルトディズニーを演じてこの作品の製作裏話が映画化された。そして今ちょうど「オール・ユー・ニード・イズ・キル」や「プラダを着た悪魔」で一躍有名になった美女エミリー・ブラント主演で続編も作られていて、だからこそパレードのトリを飾ったのだと今なら納得がいくけれども、そのときそんなことを考えている余裕はまるでなかった。なぜならわたしはこの作品が、ほんとうに大好き、まるで愛しているのだった。いつも心のいちばん深いところにあったような作品なのだった。
ストーリー、カラフルで楽しい視覚表現はもちろんのこと、楽曲! これがもうメッチャクチャによくて。わたし大学2回生の頃に転学科をして、おまけに性格にも問題があったから大学に友達がいなくて、昼休みのたびに自分の部屋に帰ってひとりでご飯を食べてたんだけど、そのとき「雨に唄えば」と「メリー・ポピンズ」のミュージカル部分だけを延々と交互に観てた、来る日も、来る日も。メリーが優しく微笑んでバートが愉快に歌い踊る、その姿を眺めながらカップ麺を啜っていると、フシギと元気が湧いてきて、別に友達なんていなくていいかなあ って、別に5・6限出なくてもいいかなあ って気持ちになっ......
わたしの失敗譚は置いておいて、とても楽しい作品なので、オススメします。
とにかく、そんな友達のような神様のような、主人公達が、目の前で! ほんとうにあの何百回も何千回も観た映画のワンシーンの通りに! メリーゴーラウンドの馬に乗り、親しげな笑顔を浮かべながら、わたしたちにむかって優雅に手を振っている。
瞬間、全身が総毛立ち、声が出なくなった。
友人はそんなわたしをチラと見て、笑ってソッとしておいてくれた。けれど背後に立ついいトシした女がいきなり泣き出したので、前にいたお客さんのことはギョっと振り向かせてしまった。
でもわたし自身、たしかにメリー・ポピンズは幼い頃から大好きな作品ではあったけれども、いったいメリーとバートの登場の何が自分の琴線に触れて泣くという情動に至ったのか、よく分からなくてちょっと混乱していた。
その後はもう、アトラクションに乗ったり、パレードに手を振ったりするたびに、いちど緩んだネジがするする回っていくように、容易に涙腺がほどけていった。
なんせディズニーランドは心底楽しかったから。時間も寒さも足の疲れも忘れ去って、子どもみたいに走ったり笑ったり、叫んだりした。信じられないくらい、幸福な時間だった。
とうとう完全に決壊したのは夕方、ファンタジーランドエリアにある「ミッキーのフィルハーマジック」でのことだった。
騒ぎを起こしたドナルドがさまざまな作品の世界に飛び込んでいき、それを追う観客も一緒に冒険している気分になれるという、みんなが気軽に楽しめるシアタータイプのアトラクション。
美女と野獣、ピーターパン、リトルマーメイド、アラジン...... キャラクターたちは持ち前の笑顔と優しさで、明らかにADHD気質の身勝手極まりないドナルドを、愛か諦念としか言いようのない包容力で受け入れる。そんな宝物箱のように楽しいアトラクションでわたしは突然、噴き出すように泣いた。声が漏れそうになり、涙が止めどなく溢れ、3Dメガネを取って拭わなければならなかった。
アリエルが「これほしい?20個もあるの!」と歌いながらキュートに微笑んで、観客席に宝石をばらまく。
わたしたちはピーターパンと一緒に空を飛び、ジーニーの幻術に魅了され、魔法の絨毯の上で寄り添うアラジンとジャスミンのロマンチックな逢瀬に見とれた。
そうなんだよなあ、ディズニーってこうなんだよなぁと、突如として懐かしい実感が大波になって押し寄せてきた。
整理のつかない感情の渦に揉まれ、いっぱいの観客の歓声に包まれながら、わたしはただ、涙を流していた。
○
ディズニーランドを、みんなが言うような夢の国だと思ったことは、一度もない。
突然自分語りを始めて恥ずかしいけれど、わたしは幼い頃からきょうだいも友達もおらず家は貧しくて、家族は昼夜を問わず働き詰めだった。ひとりで過ごすことが多くて、寂しくて泣いたこともある。けれどたぶん、ほとんど平気だった。
その理由のひとつは、たくさんのディズニーアニメのビデオが家に揃っていたからに違いない。今になって思えばその一本一本が、家族からの愛だった。
空っぽの家でひとりテレビの前に座り込み、毎日毎日、同じ作品を何度も観た。シンデレラ、白雪姫、美女と野獣やライオンキング、アラジン、ピーターパン。リトルマーメイド、眠れる森の美女、わんわん物語。そして、メリー・ポピンズ。
何度観ても楽しくて、観終わっては巻き戻して最初からもう一度観た。お気に入りのシーンだけを繰り返し再生して、一緒に歌ったり踊ったりもした。セリフだって覚えてしまった。
あの頃のわたしにとってディズニーキャラクターたちは、隣の世界に確かに存在するともだちや、おにいさん、おねえさんだった。彼らは決して飽きることなく、いつまでもわたしの遊び相手をしてくれた。
地元の日本海の奥底にアリエルはいると思い込んでいたし、晴れた夜はピーターパン一行が横切らないか、目を凝らして窓の外を見上げた。ジーニーが吹き飛ばしてしまったジャファーのランプが近所に落ちていたらどうしよう? と怖くなることもあったし、メリー・ポピンズはいつかきっとわたしの家に来てくれると信じて、風の強い日はワクワクした。
とにかく彼らはわたしにとっては夢の世界の住人などではなくて、ましてやつくりものでもないのだった。
いくら幼いにしても、ちょっと頭の足らない子どもだったのかもしれないね。
やがて彼らはウォルト・ディズニー・カンパニーという偉大な企業が作り上げた、世にも美しい偶像だということを認識する年齢になって、わたしはビデオを観なくなった。習い事をいくつか始め、塾にも通うようになって忙しかった。友達はいないままだった。
小学校や中学校で、同級生の女の子達の間にディズニープリンセスが流行ったとき、その熱はわたしには遠いものだった。グッズを買ってもらえるような家庭ではなかったし、そもそもあまりほしいとも思わなかった。遠い、過去のものだった。
○
だから今回ディズニーランドに行くと決まったときも楽しみではあったけれど、それは友人がわたしと一緒に誕生日を過ごしてくれることの喜びの方がずっと大きかったし、数ある遊園地のうちのひとつに行く感覚だった。幼い頃に一度行ったきりで、もう園内の様子もアトラクションも忘れてしまっている。20代も半ばになって所謂「こじらせた」自分が、長い待ち時間やハイテンションな人混みの中で、はたして正しくハジケられるのかしら? などと心配すらしていた。
そんな穿ったつまらない不安は、たやすく覆された。なんせ心底楽しかったのだ。友人が詳しく案内してくれて心強かった。ふたりでミッキーとミニーの耳を着けて歩いた。空は晴れ、12月だというのに雰囲気は暖かい。完璧なクリスマスムードの中、ツリーも建物もキラキラ輝いていた。パレードは心を潤し、アトラクションはどれも考えつくされていて、最高にエキサイティングだった。
けれど何よりも心が震えたのはやっぱり、キャラクター達との出会いだった。いや、出会いなどではなくって、思いもかけない、懐かしくってあまったるい、それは”再会” そのものだった。
眼前に迫りくる彼らは、久しぶりに遭遇した親友のような親しさで心にスッと入り込んできた。生き別れたきょうだいのようにすら感じられ、懐かしさ恋しさ切なさが、全身からどんどんこみ上げて止まらない。そうしてわたしは大人になってやっと、あれだけ信じ憧れていた、ともだちの世界に入り込み一緒に遊ぶことを、初めて許されたのだった。
かつての幼い自分、家族も友達もいない暗い部屋でひとりぼっちでテレビに張り付いていたわたし自身を、全肯定し受け入れてもらえたような感覚に陥った。
それはまるで、さまざまな作品に飛び込んでは笑顔で迎え入れられた、お騒がせなドナルドのように。
昔の自分を、今の自分の心身を通して受容してもらえたこと、それは今のわたしをも救うものだったようだ。
20代も中盤に差し掛かったわたしはとりあえず現実を生きているが、相変わらず友達は少ないし恋人たちともぜんぜん上手くいかないし、性格まで捻じくれてしまって社会性すら欠如気味だ。けれどディズニーランドという空間においてはそんなことすらどうでもよい。わたしという人間ひとりの、過去の思い出も現在のこの週末も、全てを輝かしいものに変えてしまう、信じられないほどのパワーを持っていた。
それがディズニーランドだった。
○
ディズニーランドはたしかに夢の国だ。
しかしそれは現実と対比される「夢」ではなく、誰しもが心に抱いているとされている、希望や憧憬、大切にしたいもの、そんな意味の「夢」の方だと、わたしは思った。
これ、かの有名なエレクトリカルパレードの最後に牽かれてくる、協賛企業である大手システムインテグレータ企業のロゴ。めちゃくちゃカワイイ。当時はIT企業でバリバリの営業をしていたもんだから、その所謂「夢の国」の締めくくりに(何人月分のコストをかけたパレードだったんだろう……)なんて考えさせられて、なんだか身が引き締まる想いがしたことを思い出す。
たぶんエレクトリカルパレードの写真としてこれを保存してるのもわたしくらいじゃないかな。しかし綺麗に輝いてるな〜
お父さんの思い出
去年のこと
2016年、明けましておめでとうございます!
初めての方は、はじめまして!
どこかで知ってくださっている方は、こんにちは!
改めて、簡単に自己紹介をします。
25歳、女性、都内在住、ちょっと仕事に追われている会社員です。
彼氏もセフレも好きな人もいません!
...以上!!
特筆すべきものが何もないな〜
そんな没個性の権化みたいな私ですが、今年こそは!ブログを書きたいと思っています。
どれだけ更新できるかも、面白いことを書けるかも分からないけれど、お暇なときに覗いていただけたら幸いです◎
さて、
2016年になりましたねー!めでたいなぁ!
やる気や期待が高まります。私もいくつか、抱負があります!
でも!ここでいきなり抱負を発表するのも恥ずかしいので、今回はとりあえず、去年一年を振り返ってみたいと思います。
朗らかにまいりましょー!
1月
まず新年2日目にして当時付き合っていた彼氏にブチギレてますね...
ハイ未読20分〜〜〜女と3:3の飲み会で未読無視20分〜〜〜〜〜〜〜〜!!!終わりで〜す!ハイ終わり〜〜〜〜!!この関係終わりです〜〜〜〜〜〜〜!!ムリです〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!ア ハッピィ ニュウ 死ね
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 1月 2
『ア ハッピイ ニュウ 死ね』 とか言っちゃってますね...
この月に実家でメッチャ可愛い犬を飼いはじめました。
念願だったカッコいいロードバイクも買いました。
2月
別れた彼氏のLINEに元カノの写真をフェースブックから拾ってきて送りつけるとこう言われちゃいます!みんなも気をつけようね! pic.twitter.com/9nlQ7rab4s
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 2月 9
別れ話を繰り返す日々が続いていました。
錯乱して彼氏の元カノ(メチャクチャ可愛い)の写真をフェースブックから拾って彼氏のLINE に連投してしまい、精神状態を心配されていますね...
3月
彼氏のツイートを何年分も遡っては昔の私に宛てた軽口に改めて傷ついたり、女の子との会話をスクショして送りつけたりするので、ツイートを殆ど消されてしまった。友達の頃から彼の書く文章が好きだった。自分の好意が執念と化し暴力になって、好きな人の好きなところをひとつ壊してしまった、もう遅い
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 3月 11
ネトストによって追い詰めた結果、なんと彼は自分のアカウントのツイートを全消ししてしまいました。
切なげにツイートしてる私...いやいや、当時の彼にしてみたらほぼ災害だよ…可哀想なのはどっちだよ…
でも、関西に住んでいた彼が、就職のために上京してきました。
1週間くらい一緒に住んで、今までの人生で最高に楽しい日々でした。
ホントちょっとした報告なんですが、昨年は初夏に始まり秋を経て冬に呑まれた遠距離恋愛がついに終焉を迎え、桜の開花とともにゆるやかに近距離恋愛へと切り替わりました。相手は変わってません。応援してくれてありがとうございました。これからもなるべく長く、仲良く楽しくがんばります。報告以上
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 3月 30
4月
タガが外れたように、彼氏が所謂”最高の同期達”と飲みに行き出します。
この時期がイチバン辛かったですが、読み返した感じツイートはこの時期がイチバン面白いです。
勢いに乗って3つくらい載せます。
新人研修で疲れた彼のココロを癒す愉快なジョーク、どうぞご覧ください pic.twitter.com/opK388PrAQ
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 4月 9
彼氏が昨晩出かけて行った最高の同期達との飲み会、「皆でご飯食べて軽く飲んだだけだよ」と言う彼氏に「女の子はいたの?」と訊ねたら「いたよ。3人。」となぜか倒置法で答えやがりました。倒置法は後ろの言葉を強調する効果があるって習わなかったんでしょうか。彼氏の国語力のなさにガッカリです。
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 4月 23
「ステーキ屋なう」とツイートした人が「極力肉を食べないように頑張る」とか言ったらゼッタイ嘘だしふざけてんのかと思うじゃないですか?それと同じだと私は思ったんですけど彼氏が「極力女の子とは別行動するよう頑張る」などと言いながら最高の同期6名(男3女3)と観光に行きました。恥を知れ
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 4月 27
5月
ツイート数がイチバン少ない月。端的に言うと本気で死にたかったです。
ウッ…見て……ウ、ウチのイヌを見て pic.twitter.com/8JYBxlprIl
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 5月 10
実家のメッチャ可愛い犬が可愛い。
6月
とりあえずワシのベッドに初めて乗せてもらって興奮してヘドバンしてるウチの犬見とく? pic.twitter.com/rHifWugZic
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 6月 26
実家のメッチャ可愛い犬が可愛い。
次に、公園から帰りたがらないウチの犬を見ましょうね pic.twitter.com/JQDNat1wQ5
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 6月 26
実家のメッチャ可愛い犬が可愛い。
最後に、先週末、別れることがもう決まっていたのにもかかわらず我儘を言って一緒に行ってもらった、1年記念の軽井沢旅行の写真を、見ましょうね pic.twitter.com/qMZlIzhsIb
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 6月 26
付き合った一年記念日に、彼氏と別れました…...
7月
このくらいから仕事しんどい感じが全面に出てきます。
3日おきくらいに妻子持ちの上司のことメッチャ好きかも、って思うんだけどだいたい同じくらいのスパンで激烈に詰められて殺したくなるから辛うじて理性がバランスを保ってるよ
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 7月 13
ちなみに今は上司殺したいターンが3ヶ月程度続いています。
個人的に去年イチバンの収穫は以下のこのツイートです。
これを契機に、様々な人にフォローしていただけたからです。
それに、誰かと共有したかったマッドマックスの感動をちゃんと元カレに伝えられて、本当に満ち足りた気持ちになりました。
別れた彼氏と1億3000万年ぶりにラインできて涙が出るくらい嬉しかったのに結局最初から最後までマッドマックスの話題に終始してしまったのは完全に後悔しかないしどう考えても語りすぎてキモい pic.twitter.com/Fe0pui8bpm
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 7月 30
最後の1枚は既読にすらなってないけど
8月
生きるのが辛そうです。
生きるの全然辛くないもん
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 8月 2
無理に誘ってしまった小旅行に元カレと行けることになった、それだけじゃなく「もう一度一緒にいよう」と言ってもらえた。別れた頃より露出が増えた夏服で抱き合って、懐かしい肌を感じたと思ったら全部夢で今朝だった。心の痛みが死因になりうるとしたら間違いなく今日、死んでいたし、死にたかった。
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 8月 19
9月
生きるのが辛そうです。
もし神様がいるなら、草野マサムネが結婚する前日に何も知らないまま死なせてほしい。
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 9月 28
10月
元カレのサブアカウントを見つけてしまいちょっとした祭になりました。
私と別れた2週間後には好きな人の話をしていました。なるほどね...
生理休暇とかいらないから「元カレのツイッターアカウントを見つけてしまったら既に意中の人がおり始発でディズニー(^o^)へ行っていた上にフォロワーは9分9割女で私との切ない思い出は女フォロワーとのリプライとふぁぼのダシに使われておりつまり出会い厨をしていました休暇」が切実にほしい。
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 10月 5
そして、25歳になりました。
お祝いの言葉をたくさんいただいて、ほんとうに嬉しかったです。
11月
秋頃から、今まであまりしていなかった映画の話をたまにするようになりました。
God Help the Girl という主人公達の可愛さ以外内容ゼロのミュージカル映画があってね。仕事も上司の信頼も捨ててね、観終わったら明朝までの資料修正指示が25089個来てて今ファミレスで血眼で作業してるけどね、幸せだよ、私 pic.twitter.com/D71poXPhi1
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 11月 19
勤務する会社でイザコザがあり、会社を辞めよう。と考えます。現在はまだ在職中。
会社を辞めて離島の民宿で働かせてもらいたい。日が出たら起きて暮れたら眠る。休日は散歩して、雨が降ったら映画を観る。知り合いが日本中にできる。友達や恋人もできるかもしれない。キャリアもお金もなくていい、結婚もしなくていい、子どももいらない。家族にだけ、何と謝ったらいいかわからない。
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 11月 13
生きるのが辛そうです。
12月
11月頃から、スッゲ働いてるかメンと遊んでるかみたいな日々になっています。
今夜?合のコンで知り合ったメンとディーのナーよ
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 12月 9
男のハートは逃しても、御社の案件は逃さない。それが営業の生き方だから…
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 12月 4
今年イチバンお気に入りされた、世にも下衆なツイートがこの月に爆誕しました。
「ヤらせて」と言われたが「最近セックスを全くしないためか身体が本当に醜く、体型も肌も汚くて恥ずかしいのでご遠慮します」と返答したところ「オレのことは化粧水と思ってくれていいから。無視すると一番肌荒れるよ。最後に乳液も出すし」と言われた。冬の晴れ空のようにすがすがしい最低な比喩だな
— 眞駒 (@ameni__) 2015, 12月 2
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以上です!長々とお付き合いいただきありがとうございました!
こうして振り返りながら2015年の私を総括すると...
いろいろあった結果、喫煙量が激増!!!!
この一言に尽きますが、
全体的に悲しげな一年に見えるし、正直死にたい日も何日もあったけれど(上半期は死ぬ方法を毎日考えているような状態でした)、嬉しかったこと楽しかったこともメチャクチャ沢山あったなあって思い出します。
なんやかや彼氏ともデートしたなあ〜 とか
友達が東京に引っ越してきた〜 とか
会いたいと思った人にけっこう会えてたり〜 とか
面白い映画も沢山観たな〜 とかね
んで、多分去年は、ハタチ超えてからイチバン泣いた年だったかもしんない。と思ったんですね。
それは恋人だった男の胸の中でもだし、ベッドの中や電車を待つ列の中でもだし、勤務先のトイレで咽び泣いたこともあったし、映画館で号泣したこともあったし。荒々しい一年だった。
感情がジェットコースターのように揺れ動いて、毎日すごく疲れたし、すごく楽しかったです。
新しい物事に触れて心が悲鳴を上げるたびに、新しい自分に出会うような気がしていました。
だからこんなブログタイトルにしてみました。
「おんなが泣くとき」
泣くとき は、心からなんかが溢れたときなので、記録しておけたら面白いかなと思います。
女として胸は張れない人間なので、あんまり正しい名前じゃないかもしんないけど...
また名前変えるかもしんないし!
泣いたこと以外も書きますよ!
まあまあ、気長にお付き合いください!
今回はこれにてさようなら。
みなさんの2016年は、笑顔いっぱいの年になるといいね!
今年もよろしくお願いいたします。
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今回のトップ画像の映画は「キャリー(原題:Carrie )」2013年版。
スティーブン・キングの小説で、1976年に初の映画化、そして2013年にあのキック・アスのクロエ・モレッツ主演でリメイクされています。
厳格なカトリック家庭に生まれ育った女の子がヒドいイジメを受けて心底辛い想いをした挙句、同級生や親、住む街もろともサイキックで破壊するという切ないストーリーです。
1976年版が特におすすめです!2013年版はクロエちゃんが可愛すぎるんですよね〜