数年前、ディズニーランドで泣いたときの話

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写真が下手か?

 

もう数年前のことになるけれど、数少ない大学時代からの友人の誕生日、十数年ぶりにディズニーランドへ行った。

そうしたら、幾度となく泣くことになった。

そのときのことを今日は書く。

 

久しぶりのブログがコレで、「どうして?」と思われるかもしれないけれど、evernote の雑記に埋もれていたのを偶然見つけた。

最近、何か自分の文章を書きたいと思ってはいたけれど指が錆びついたみたいに重くて書けない。ネタすら思いつかない。あまりに苦しくて苦しくって、過去の女につい手を出したってワケ。

読み返してみたら案外悪くなかったので加筆修正したものを掲載します。

 

また、ここに書かれている内容は数年前の情報であり、かつディズニーランドについて普通以下の知識しか持たない者の主観的記憶に過ぎないことをご承知おきください。

 

 

12月の休日のディズニーランド。

まあ~クソ寒かったしクソ混んでたしクソにぎやかだしクソきらきらしてたし、そんで、クソたのしかったなあ。たのしかったよ。

わたし、ディズニーランドだいすき~。

 

泣くことになったキッカケはまず、入園して間もなく出くわしたパレード。代表的なキャラクターが登場し、手を振ったり踊ったりしてた。とってもかわいくて、おもちゃ箱をひっくり返したような感じ。衣装も乗り物もゴテゴテしてカラフルで、いよいよディズニーに来たなー! と思った。けれどわたしはもうずっと、パレードへの出演権を得たダンサーたちの晴れがましい笑顔に魅入っていた。わたしはパレードやショーのダンサーが大好き。

彼/彼女たちの笑顔って、夢を叶えるまでに流した数多の汗と涙が瞬間的に結晶になって輝いてるんだと、見るたびに思う。勝手に目の前の美しいダンサーの無償の笑顔にドラマを見て、感無量になる。他人に夢を与えることができるのは、叶える果てまで夢を追い続けた人だけなのだなぁなどと、夢のないわたしはしみじみした。

プーさんやピーターパン、不思議の国のアリスなどの名だたる人気者たちが次々と登場しては、声援の波に乗って遠のいていく。しかし終盤、唐突に現れたのはまったく予想外の人物だった。

 

メリー・ポピンズと相方のバートがそこにいた!

メリー・ポピンズは1960年代に製作・放映された、実験的なアニメーションと実写が混合するミュージカル作品だ。2014年、トム・ハンクスがウォルトディズニーを演じてこの作品の製作裏話が映画化された。そして今ちょうど「オール・ユー・ニード・イズ・キル」や「プラダを着た悪魔」で一躍有名になった美女エミリー・ブラント主演で続編も作られていて、だからこそパレードのトリを飾ったのだと今なら納得がいくけれども、そのときそんなことを考えている余裕はまるでなかった。なぜならわたしはこの作品が、ほんとうに大好き、まるで愛しているのだった。いつも心のいちばん深いところにあったような作品なのだった。

ストーリー、カラフルで楽しい視覚表現はもちろんのこと、楽曲! これがもうメッチャクチャによくて。わたし大学2回生の頃に転学科をして、おまけに性格にも問題があったから大学に友達がいなくて、昼休みのたびに自分の部屋に帰ってひとりでご飯を食べてたんだけど、そのとき「雨に唄えば」と「メリー・ポピンズ」のミュージカル部分だけを延々と交互に観てた、来る日も、来る日も。メリーが優しく微笑んでバートが愉快に歌い踊る、その姿を眺めながらカップ麺を啜っていると、フシギと元気が湧いてきて、別に友達なんていなくていいかなあ って、別に5・6限出なくてもいいかなあ って気持ちになっ......

わたしの失敗譚は置いておいて、とても楽しい作品なので、オススメします。

 

とにかく、そんな友達のような神様のような、主人公達が、目の前で! ほんとうにあの何百回も何千回も観た映画のワンシーンの通りに! メリーゴーラウンドの馬に乗り、親しげな笑顔を浮かべながら、わたしたちにむかって優雅に手を振っている。

 

瞬間、全身が総毛立ち、声が出なくなった。

 

友人はそんなわたしをチラと見て、笑ってソッとしておいてくれた。けれど背後に立ついいトシした女がいきなり泣き出したので、前にいたお客さんのことはギョっと振り向かせてしまった。

でもわたし自身、たしかにメリー・ポピンズは幼い頃から大好きな作品ではあったけれども、いったいメリーとバートの登場の何が自分の琴線に触れて泣くという情動に至ったのか、よく分からなくてちょっと混乱していた。

 

その後はもう、アトラクションに乗ったり、パレードに手を振ったりするたびに、いちど緩んだネジがするする回っていくように、容易に涙腺がほどけていった。

なんせディズニーランドは心底楽しかったから。時間も寒さも足の疲れも忘れ去って、子どもみたいに走ったり笑ったり、叫んだりした。信じられないくらい、幸福な時間だった。

 

とうとう完全に決壊したのは夕方、ファンタジーランドエリアにある「ミッキーのフィルハーマジック」でのことだった。

騒ぎを起こしたドナルドがさまざまな作品の世界に飛び込んでいき、それを追う観客も一緒に冒険している気分になれるという、みんなが気軽に楽しめるシアタータイプのアトラクション。

美女と野獣、ピーターパン、リトルマーメイド、アラジン...... キャラクターたちは持ち前の笑顔と優しさで、明らかにADHD気質の身勝手極まりないドナルドを、愛か諦念としか言いようのない包容力で受け入れる。そんな宝物箱のように楽しいアトラクションでわたしは突然、噴き出すように泣いた。声が漏れそうになり、涙が止めどなく溢れ、3Dメガネを取って拭わなければならなかった。

アリエルが「これほしい?20個もあるの!」と歌いながらキュートに微笑んで、観客席に宝石をばらまく。

わたしたちはピーターパンと一緒に空を飛び、ジーニーの幻術に魅了され、魔法の絨毯の上で寄り添うアラジンとジャスミンのロマンチックな逢瀬に見とれた。

そうなんだよなあ、ディズニーってこうなんだよなぁと、突如として懐かしい実感が大波になって押し寄せてきた。

整理のつかない感情の渦に揉まれ、いっぱいの観客の歓声に包まれながら、わたしはただ、涙を流していた。

 

 

ディズニーランドを、みんなが言うような夢の国だと思ったことは、一度もない。

 

突然自分語りを始めて恥ずかしいけれど、わたしは幼い頃からきょうだいも友達もおらず家は貧しくて、家族は昼夜を問わず働き詰めだった。ひとりで過ごすことが多くて、寂しくて泣いたこともある。けれどたぶん、ほとんど平気だった。

その理由のひとつは、たくさんのディズニーアニメのビデオが家に揃っていたからに違いない。今になって思えばその一本一本が、家族からの愛だった。

空っぽの家でひとりテレビの前に座り込み、毎日毎日、同じ作品を何度も観た。シンデレラ、白雪姫、美女と野獣やライオンキング、アラジン、ピーターパン。リトルマーメイド、眠れる森の美女、わんわん物語。そして、メリー・ポピンズ

 

何度観ても楽しくて、観終わっては巻き戻して最初からもう一度観た。お気に入りのシーンだけを繰り返し再生して、一緒に歌ったり踊ったりもした。セリフだって覚えてしまった。

あの頃のわたしにとってディズニーキャラクターたちは、隣の世界に確かに存在するともだちや、おにいさん、おねえさんだった。彼らは決して飽きることなく、いつまでもわたしの遊び相手をしてくれた。

地元の日本海の奥底にアリエルはいると思い込んでいたし、晴れた夜はピーターパン一行が横切らないか、目を凝らして窓の外を見上げた。ジーニーが吹き飛ばしてしまったジャファーのランプが近所に落ちていたらどうしよう? と怖くなることもあったし、メリー・ポピンズはいつかきっとわたしの家に来てくれると信じて、風の強い日はワクワクした。

とにかく彼らはわたしにとっては夢の世界の住人などではなくて、ましてやつくりものでもないのだった。

いくら幼いにしても、ちょっと頭の足らない子どもだったのかもしれないね。

 

やがて彼らはウォルト・ディズニー・カンパニーという偉大な企業が作り上げた、世にも美しい偶像だということを認識する年齢になって、わたしはビデオを観なくなった。習い事をいくつか始め、塾にも通うようになって忙しかった。友達はいないままだった。

小学校や中学校で、同級生の女の子達の間にディズニープリンセスが流行ったとき、その熱はわたしには遠いものだった。グッズを買ってもらえるような家庭ではなかったし、そもそもあまりほしいとも思わなかった。遠い、過去のものだった。

 

 

だから今回ディズニーランドに行くと決まったときも楽しみではあったけれど、それは友人がわたしと一緒に誕生日を過ごしてくれることの喜びの方がずっと大きかったし、数ある遊園地のうちのひとつに行く感覚だった。幼い頃に一度行ったきりで、もう園内の様子もアトラクションも忘れてしまっている。20代も半ばになって所謂「こじらせた」自分が、長い待ち時間やハイテンションな人混みの中で、はたして正しくハジケられるのかしら? などと心配すらしていた。

 

そんな穿ったつまらない不安は、たやすく覆された。なんせ心底楽しかったのだ。友人が詳しく案内してくれて心強かった。ふたりでミッキーとミニーの耳を着けて歩いた。空は晴れ、12月だというのに雰囲気は暖かい。完璧なクリスマスムードの中、ツリーも建物もキラキラ輝いていた。パレードは心を潤し、アトラクションはどれも考えつくされていて、最高にエキサイティングだった。

 

けれど何よりも心が震えたのはやっぱり、キャラクター達との出会いだった。いや、出会いなどではなくって、思いもかけない、懐かしくってあまったるい、それは”再会” そのものだった。

 

眼前に迫りくる彼らは、久しぶりに遭遇した親友のような親しさで心にスッと入り込んできた。生き別れたきょうだいのようにすら感じられ、懐かしさ恋しさ切なさが、全身からどんどんこみ上げて止まらない。そうしてわたしは大人になってやっと、あれだけ信じ憧れていた、ともだちの世界に入り込み一緒に遊ぶことを、初めて許されたのだった。

かつての幼い自分、家族も友達もいない暗い部屋でひとりぼっちでテレビに張り付いていたわたし自身を、全肯定し受け入れてもらえたような感覚に陥った。

それはまるで、さまざまな作品に飛び込んでは笑顔で迎え入れられた、お騒がせなドナルドのように。

 

昔の自分を、今の自分の心身を通して受容してもらえたこと、それは今のわたしをも救うものだったようだ。

20代も中盤に差し掛かったわたしはとりあえず現実を生きているが、相変わらず友達は少ないし恋人たちともぜんぜん上手くいかないし、性格まで捻じくれてしまって社会性すら欠如気味だ。けれどディズニーランドという空間においてはそんなことすらどうでもよい。わたしという人間ひとりの、過去の思い出も現在のこの週末も、全てを輝かしいものに変えてしまう、信じられないほどのパワーを持っていた。

それがディズニーランドだった。

 

 

ディズニーランドはたしかに夢の国だ。

しかしそれは現実と対比される「夢」ではなく、誰しもが心に抱いているとされている、希望や憧憬、大切にしたいもの、そんな意味の「夢」の方だと、わたしは思った。

 

 

 

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これ、かの有名なエレクトリカルパレードの最後に牽かれてくる、協賛企業である大手システムインテグレータ企業のロゴ。めちゃくちゃカワイイ。当時はIT企業でバリバリの営業をしていたもんだから、その所謂「夢の国」の締めくくりに(何人月分のコストをかけたパレードだったんだろう……)なんて考えさせられて、なんだか身が引き締まる想いがしたことを思い出す。

たぶんエレクトリカルパレードの写真としてこれを保存してるのもわたしくらいじゃないかな。しかし綺麗に輝いてるな〜

 

 

お父さんの思い出

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将来を憂いてウンウン呻きながら、貸してもらったマンガ本を貪るように読み散らかして孤独感を拭い去ろうともがいているうちに、2016年6月第3週の日曜日、今年の父の日が終わっていた。
 
実家に電話したり、プレゼントを贈ったり、食事に誘ったり、それらしいことを何もしなかった。
したことがないのだった。今まで一度も。
 
 
私には父親がいないのだけれど、もう今の世の中そんなに珍しいことでもないらしい。
厳密に言えば戸籍上にはいるんだけど、私が胎児だった頃に両親は離婚して、この世に生を享けたとき既に父親の姿は視界になかった。
 
だからどこで父親という概念を覚えたのか、ちょっと不思議だ。絵本だったかもしれないし、ジブリのビデオだったかもしれない。教育テレビのおうただったかもしれないし、あるいは街中で見かける親子だったかもしれない。でもどこで覚えたにしろ、その存在に違和感を抱いたことはなかった。
父親というものは、私以外の多くの子どもにいて、私にはいないもの。私以外の多くの子どもには兄弟や姉妹がいる。私以外の多くの子どもは毎週末宗教施設に通うことはしないし、私以外の多くの子どもは親の職業でバカにされることもない。私以外の多くの子どもは、マンガもゲームもアニメも自由に与えられていた。私以外の多くの子どもの家では、家族同士が罵詈雑言を浴びせたり物を投げたり相手の頭髪を掴んで引き摺ったりするようなケンカもしないらしかった。
私以外の多くの子どもと私は、異なるところがいくつもあって、でもどれも些細なことで、父親がいないこともそれらと同じようなことと、ずっと思ってきた。
 
 
「お父さんがいなくて寂しかったでしょう」と問われることがある。例えば自分の母から。
「ごめんね」と言われたりもする。
きっと罪悪感があるのだろう。持つ必要のない罪悪感。おそらく、抱き続けることで安心している罪悪感。
「お父さんがいないから◯◯だ」などというありきたりな泣き言を私は、思ったことも口に出したことも今まで一度だってないはずだ。
自分の罪悪感を紛らわすために、娘をそんな稚拙な人間と都合よく解釈しないでほしいと思う。
 
まだ物心も曖昧な頃に何度か、母と、私と、父親ではない知らない男性と遊びに行った記憶がある。
動物園や、スケート場だった気がする。母と、その男性に手を繋がれて、私は怯えながらはしゃいでいた。
母は優しかった。男性も、笑顔だったような気がする。肩車をしてもらったかもしれない。気遣わしげに、名前を呼んでもらったかもしれない。
その記憶は、いつも目もくらむような太陽の光とともに思い出される。
 
ある日の夕方、強烈な西日が差し込む狭い自室で母は泣いていた。
静かに言った。
「あの人とはもう会わないからね」
私はなんで?と問うこともできずに頷いた。
どんどん陰ってゆく部屋でこのまま、永遠に母と二人ぼっちなのだと思った。
 
何年か経って祖母にその時のことを訊ねたら、やっと知らされた理由に心底ギョッとした。
「信仰している宗教を反対されたから」というものだった。
信仰のために安寧を棄てた、高潔なる母。
 
 
およそ26年前、夫との離婚調停に消耗しているさなか妊娠が発覚した若い女性は精神を病んだ。当然である。
その惨状を哀れんだ裏向かいの住人が、その女性の母親を宗教へと招き入れた。
女性の父親も、妊婦であった女性自身も入信し、必死な信仰と祈りの甲斐あって健康な女の子が生まれた。
その女の子ももちろん、胎児の時分から入信書に名前が書かれた、敬虔な信徒であった。
信仰はやがて家族が幸福に生きる”手段”ではなく、幸福に生きる”意味”となった。
 
 
父親の存在の有無に関わらず、私はずっと寂しかったと思う。
 
祖父も祖母も70を過ぎてもなお昼夜問わず働いていたけれど、それは健康を与えてくださる教祖様のおかげだった。
母は家業も手伝いながら宗教施設で働いていたけれど、それは身近で徳を積ませていただける、教祖様のお導きだった。
私は学校中の嫌われ者なのに学業成績だけはすこぶるよかったけれど、それは私に力を貸してくださる、教祖様の御心だった。
週末は必ず車に乗って家族で出かけたけれど、それは教祖様に日頃のお礼を述べて、忠誠を誓うためだった。
そして、それ以外の日常は、家族はずっと、ずっとずっと果てしなく延々と、喧嘩をしていた。
 
家族の喧嘩が始まると私はいつも、泣きながら布団に潜り込んでお経を唱えていた。
家族が喧嘩しませんように。怒鳴り声が隣の家まで聞こえませんように。おじいちゃんがおばあちゃんを叩きませんように。おかあさんの激昂が私に飛び火して、足音荒く階段を駆け昇ってきませんように。
お経を唱えて、教祖様に祈り続けて、だんだん包まれているかのように心地よくなってきて、いつしか静まりかえった家の片隅で眠っていた。
そんな夜が、数えきれないほどあった。
 
家族の時間やお金や情熱や生きる目的がすべて向けられてしまう、信仰が憎かった。
どれだけ修行を積んで我慢を重ねても、フツウの家族になることすら許してくれない、信仰が憎かった。
だけれども一方で、信仰に触れているときの穏やかで温かい家族が私は好きだった。
安心感をもたらしてくださる教祖様のことが、好きだった。
 
 
地元の駅前にあったジャスコは、今はもうない。十年以上前に女性の飛び降り自殺があってから、いつの間にか潰れてしまった。
薄暗い催事場では、子どもが描いた絵の展覧会がよく催されていた。
読書感想画や、防犯ポスターや、母の日、父の日、敬老の日の似顔絵。
何度か出品して賞をもらった。1度だけ、父の日の似顔絵コンテストにも出品したことがある。
 
「おとうさん いつもありがとう」と書かれている画用紙に大きく描いた。
白髪頭に、金縁の大きな眼鏡をかけている。
知的で優しそうな柔らかい笑顔で、仕立てのよいスーツを着ている。
 
何を思って描いたのか、今では覚えていない。
家族の機嫌を取ろうと思ったのかもしれないし、ほんとうに描きたくなったのかもしれない。
 
描いたのはもちろん、戸籍上の父でもなく、祖父でもない。
当時すでに存命でなく、写真と映像でしか見たことのなかった教祖様を、父の日の似顔絵に私は描いた。
 
 
私と家族をいつどんなときにも暖かく見守り、律し、支え続けてくれていると”私が信じてきた”存在こそが、私にとっては唯一であり、絶対的な父親だったのだと今になって思う。
幼い子どもが抱くケースがあるとされる「空想の友人(イマジナリーフレンド)」に似ているかもしれない。
教祖様であるところの「イマジナリーファーザー」は、もしかしたら本当に、私を見守っていてくれたかもしれない。けれども当たり前なことに、一度も名前を呼んではくれなかったし、抱きしめてもくれなかった。
 
18になって地元を離れると同時に、その頃の私にとってはもはやボロ布のように纏わり付くだけになっていた信仰を捨てた。
そのときに私はおそらく、教祖様からの御心に背くことで、ずっと偶像のように抱いていた「私の父親」をも捨ててしまったのだろうと思う。
 
本当に父親不在の自分に気がつき始めたのはその後、ハタチも越えた頃からのような気がする。
お父さんは、私以外の多くの人にいて、私にいない。
 
ときどき父親か、そうでない誰かかもしれないけれど、誰かの不在が無性に寂しくなり、苦しくなって、崖縁に追い詰められたように思われるときがあるのは、子どもみたいにしゃがんで声を上げて泣いてしまいたくなるときがあるのは、いまさらになって抱き上げてくれる大きな腕を探しているのかもしれない。
 
まさにそんな夜だったから思い出した。
 
将来を憂いてウンウン呻きながら、貸してもらったマンガ本を貪るように読み散らかして孤独感を拭い去ろうともがいているうちに、2016年6月第3週の日曜日、今年の父の日が終わっていた。

去年のこと

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2016年、明けましておめでとうございます!

 

初めての方は、はじめまして!

どこかで知ってくださっている方は、こんにちは!

 

改めて、簡単に自己紹介をします。

ツイッターでは眞駒(@ameni__ )という名前です。

25歳、女性、都内在住、ちょっと仕事に追われている会社員です。

 彼氏もセフレも好きな人もいません!

 

...以上!!

特筆すべきものが何もないな〜

 

そんな没個性の権化みたいな私ですが、今年こそは!ブログを書きたいと思っています。

どれだけ更新できるかも、面白いことを書けるかも分からないけれど、お暇なときに覗いていただけたら幸いです◎

 

さて、

2016年になりましたねー!めでたいなぁ!

 

やる気や期待が高まります。私もいくつか、抱負があります!

でも!ここでいきなり抱負を発表するのも恥ずかしいので、今回はとりあえず、去年一年を振り返ってみたいと思います。

朗らかにまいりましょー!

1月

まず新年2日目にして当時付き合っていた彼氏にブチギレてますね...

『ア ハッピイ ニュウ 死ね』 とか言っちゃってますね...

 

この月に実家でメッチャ可愛い犬を飼いはじめました。

念願だったカッコいいロードバイクも買いました。

 

2月

別れ話を繰り返す日々が続いていました。

錯乱して彼氏の元カノ(メチャクチャ可愛い)の写真をフェースブックから拾って彼氏のLINE に連投してしまい、精神状態を心配されていますね...

 

3月

ネトストによって追い詰めた結果、なんと彼は自分のアカウントのツイートを全消ししてしまいました。

切なげにツイートしてる私...いやいや、当時の彼にしてみたらほぼ災害だよ…可哀想なのはどっちだよ…

 

でも、関西に住んでいた彼が、就職のために上京してきました。

1週間くらい一緒に住んで、今までの人生で最高に楽しい日々でした。

  

4月

タガが外れたように、彼氏が所謂”最高の同期達”と飲みに行き出します。

この時期がイチバン辛かったですが、読み返した感じツイートはこの時期がイチバン面白いです。

勢いに乗って3つくらい載せます。

 

5月

ツイート数がイチバン少ない月。端的に言うと本気で死にたかったです。

実家のメッチャ可愛い犬が可愛い。

 

6月

実家のメッチャ可愛い犬が可愛い。

 

実家のメッチャ可愛い犬が可愛い。

 

付き合った一年記念日に、彼氏と別れました…...

 

7月

このくらいから仕事しんどい感じが全面に出てきます。

ちなみに今は上司殺したいターンが3ヶ月程度続いています。

 

個人的に去年イチバンの収穫は以下のこのツイートです。

これを契機に、様々な人にフォローしていただけたからです。

それに、誰かと共有したかったマッドマックスの感動をちゃんと元カレに伝えられて、本当に満ち足りた気持ちになりました。

最後の1枚は既読にすらなってないけど

 

8月

生きるのが辛そうです。

 

9月

生きるのが辛そうです。

 

10月

元カレのサブアカウントを見つけてしまいちょっとした祭になりました。

私と別れた2週間後には好きな人の話をしていました。なるほどね...

 

そして、25歳になりました。

お祝いの言葉をたくさんいただいて、ほんとうに嬉しかったです。

 

11月

秋頃から、今まであまりしていなかった映画の話をたまにするようになりました。

 

勤務する会社でイザコザがあり、会社を辞めよう。と考えます。現在はまだ在職中。

生きるのが辛そうです。

 

12月

11月頃から、スッゲ働いてるかメンと遊んでるかみたいな日々になっています。

 

今年イチバンお気に入りされた、世にも下衆なツイートがこの月に爆誕しました。

 

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以上です!長々とお付き合いいただきありがとうございました!

 

こうして振り返りながら2015年の私を総括すると...

 

いろいろあった結果、喫煙量が激増!!!!

 

この一言に尽きますが、

 

全体的に悲しげな一年に見えるし、正直死にたい日も何日もあったけれど(上半期は死ぬ方法を毎日考えているような状態でした)、嬉しかったこと楽しかったこともメチャクチャ沢山あったなあって思い出します。

なんやかや彼氏ともデートしたなあ〜 とか

友達が東京に引っ越してきた〜 とか

会いたいと思った人にけっこう会えてたり〜 とか

面白い映画も沢山観たな〜 とかね

 

んで、多分去年は、ハタチ超えてからイチバン泣いた年だったかもしんない。と思ったんですね。

それは恋人だった男の胸の中でもだし、ベッドの中や電車を待つ列の中でもだし、勤務先のトイレで咽び泣いたこともあったし、映画館で号泣したこともあったし。荒々しい一年だった。

感情がジェットコースターのように揺れ動いて、毎日すごく疲れたし、すごく楽しかったです。

新しい物事に触れて心が悲鳴を上げるたびに、新しい自分に出会うような気がしていました。

 

だからこんなブログタイトルにしてみました。

「おんなが泣くとき」

 

泣くとき は、心からなんかが溢れたときなので、記録しておけたら面白いかなと思います。

 

女として胸は張れない人間なので、あんまり正しい名前じゃないかもしんないけど...

また名前変えるかもしんないし!

泣いたこと以外も書きますよ!

まあまあ、気長にお付き合いください!

 

今回はこれにてさようなら。

みなさんの2016年は、笑顔いっぱいの年になるといいね!

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

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今回のトップ画像の映画は「キャリー(原題:Carrie )」2013年版。

スティーブン・キングの小説で、1976年に初の映画化、そして2013年にあのキック・アスのクロエ・モレッツ主演でリメイクされています。

厳格なカトリック家庭に生まれ育った女の子がヒドいイジメを受けて心底辛い想いをした挙句、同級生や親、住む街もろともサイキックで破壊するという切ないストーリーです。

1976年版が特におすすめです!2013年版はクロエちゃんが可愛すぎるんですよね〜